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その日は、大学校にちょっとした用事があった。
多摩都市モノレールの、玉川上水駅から大学校に向かって歩き始めたときは、
夕刻、厚い雲間から小雨が降っていた。
新緑がすっかり深みを増した東大和南公園を歩いていく。
2001年1月の入試から幾度もこの道を歩いたが、
ちょうど、一年前もこんな風景だったなあ、と思い出した。
正門に回り、門をくぐる。
見慣れたはずの大学校だが、なんだかよそよそしく感じた。
受付で名前を書くと、「入館者」と書かれた札を渡された。
15:15分からの授業が間もなく終わろうとしている校内は、まだ、シーンとしていた。
図書館前の椅子も、誰も座っておらず、廊下も木でできた階段も、
ゆっくりとしたエレベータにも誰もいない。
チャイムが鳴った。
49期生や50期生らしき研修生たちがわらわらでてくる。
49期生は半年前はういういしく見えた彼らだが、いまではすっかり大学校になじんでいた。
50期生は、48期生と同じ赤いラインの名札をつけ、まだ、初々しさが残っている。
彼らは、4月の経済学などを終え、今は財務が真っ盛りだそうだ。
僕ら48期生の今ごろもそうだったよな、ちょうど、一年前を思い出した。
必要なポイントが絞りきれず、全てを一遍に憶えようとしてたよな…。

ちょっとしたきっかけで、50期生と話す時間が持てた。
やはり、制度が変わった過渡期の48期生の苦労が伝わっているらしく、
みな不安を持っているようだった。
彼らの関心は、やはり
「実習などの実践的学習」や
「後半はきつくなるのか」、
「いい飲み屋はあるのか」、
「復習はどれくらいしていたか」、
「寮の部屋に”いわく”がついているのか」
といったことだった。
48期生のなかまの派遣先からきている研修生もおり、色々と話が盛り上がった。
話の中でうれしいこともあった。
48期生が苦労していたこと、大学校にアピールしていたことが、いくつか改善され
50期生のカリキュラムや学習環境に活かされていたことだ。
Aクラス、Bクラス、という分け隔てもなく、また、実習は増えたのだ。
寮の部屋は、50期生では番号順に4階から入居しているという。
49期の女性が1人、50期生の女性入居者も1人であることから、今年は
7階にも男性が入居したとのこと。
やはり、各フロアごとに仲良くなっているらしい。
4階では、後継者コースとの交流は進んでいない様子。
「50期生で談話室で騒いでたら、後継者の人に(談話室の)ドア閉められちゃいましたよー」
といっていたので、
「あ、それって4階のルールなんです。48期生も、そうやって後継者の人たちと
お互い迷惑にならないよう約束してたんです」
というと、
「あ、そうなんだ!怒られたのかと思った」
と胸をなでおろしている様子。
近々ソフトボール大会と初のバーベキューがあるとのこと、サッカー愛好会のススメもしっかり伝える。
これから、彼らは色々開拓して、築き上げていくんだな。ちょうど一年前の自分たちのように。
そう思うと、なんだかあの頃が懐かしく、みんなに会いたくなる。
人生がたったの80年だとすれば、その1/80という貴重で、でもとても短く、その実有意義な一年を、
僕らはこの大学校で過ごした。仲間たちに囲まれ、自分がどんなに育てられた一年だろう。
3階の、2301,2304教室横の自販機のソファーに座り、随分投資した自販機で
飲み物を買う。

窓から見える中庭は、卒業式の時の閑散とした緑と違い、
随分立派な緑になっていた。
「入学した時?もう桜なんて散っていましたよ」
50期生の人が言った。
帰り、受付でS先生にばったり会った。
昨年6月の実習で3日間お世話になった先生だ。
「おおみくん、元気にしてる?今何してるの!?」
「4月から独立しています」
10分ほどの立ち話であったが、S先生は親身にアドヴァイスしてくれた。
門を出たとき、僕は振り返ってパシリ、デジカメで大学校をとった。
何も変わっていないけど、でも、何か確実に変わっている。
そして、その主語は様々だと思った。
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